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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)1100号 判決

原告 土屋八四生

被告 小林富勝

主文

被告は原告に対し金十五万円を支払うべし。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は金五万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は主文第一、二項と同旨の判決及び担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、「被告は、泉商事不動産部なる商号を用いて宅地建物取引業を営み、訴外伊鍋藤二をその事業に使用していたものである。原告は、昭和二十八年九月二十六日被告の媒介により、訴外岩田彦一郎との間に同人所有の東京都杉並区堀之内一丁目百四十九番地の七所在の木造瓦葺(登記簿上スレート葺)平屋建居宅一棟建坪十八坪(登記簿上建坪十五坪二合五勺。以下本件第一建物と称する。)及び同所同番地所在の木造瓦葺平屋建居宅一棟建坪十一坪二合(登記簿上建坪十一坪二合五勺。以下本件第二建物と称する。)並びに本件第一及び第二建物の敷地である宅地六十八坪(登記簿上六十六坪二合九勺。以下本件土地と称する。以上建物及び宅地を総称する場合には本件不動産という。)を代金百万円で買受ける旨の売買契約を締結し、同日手附金十五万円の内金三万円を、同月二十八日その残金十二万円を岩田彦一郎に支払つた。右売買契約媒介の実際の衝に当つたのは、被告の被用者である伊鍋藤二であるが同人は、当時本件第一建物及び本件土地について訴外会津屋商事株式会社のために、本件第二建物について訴外権野正男のために、それぞれ所有権移転請求権保全の仮登記が経由されていて本件不動産につき岩田彦一郎から原告に対して所有権移転の登記をなすことが不能になる虞のないでもなかつたことを知りながら、岩田彦一郎と共謀の上原告に右事実を告知せず、前述の通り原告と岩田彦一郎との間に売買契約を締結させて原告をして岩田彦一郎に手附金十五万円を支払わせた。ところが前示仮登記権利者は、それぞれその後右仮登記の本登記を経由し、且つ当該不動産を訴外松島四郎に売り渡し、その所有権移転登記手続を了した。しかもその後岩田彦一郎は行方を暗ました。そのため原告は、本件不動産について所有権を取得すること能わざるに至り、手附金として支払つて金十五万円相当の損害を蒙つたのである。この損害は、畢竟原告の被用者である伊鍋藤二が被告の事業の執行に当り不法行為により原告に加えたものに外ならないから、被告は原告に対しその賠償をなす責に任ずべきである。

仮に以上の主張が認められないとしても、原告において叙上の如き損害を蒙るに至つたのは、原告より本件不動産の売買の媒介を依頼された被告が宅地建物取引業者として当然なすべき本件不動産に関する登記簿或いは権利証等の調査を怠り、信義を旨とし誠実にその業務を行わなかつた債務不履行により、前述のような岩田彦一郎の原告に対する売主としての債務の履行不能と相待つて上述の如く原告に本件不動産の所有権を取得することを得ざらしめたことに基くものである。よつて原告は被告に対しその損害賠償として金十五万円の支払を請求する。」と述べ、被告の抗弁に対して、「原告に被告主張の如き過失のあつたことは否認する。」と述べた。〈立証省略〉

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、答弁として、「原告主張の請求原因事実中、被告が原告主張のような商号を用いて宅地建物取引業を営んでいること、被告が訴外伊鍋藤二をその事業に使用していたこと、被告が原告の依頼により原告主張の通り原告と訴外岩田彦一郎との間の本件不動産売買を媒介したこと、原告が岩田彦一郎に対し原告主張の如く二回に手附金十五万円を支払つたこと、当時本件不動産につき原告主張のような仮登記が経由されていたこと、その後各仮登記権利者がその仮登記の本登記を経由し、且つ当該不動産につき原告主張の如き訴外松島四郎に対する所有権移転登記を経由したこと及び伊鍋藤二が本件不動産売買の媒介をするに当り登記簿及び権利証等を調査しなかつたことは認めるが、その余は否認する。本件不動産の売買契約は、以下に述べる通り早急に締結されたものであつて、その媒介の衝に当つた伊鍋藤二は、当時本件不動産に原告主張の如き仮登記が経由されていたことを知る由もなく、又事前に登記簿等を調査して右の如き事実を発見し得る暇もなかつたのである。即ち、昭和二十六年九月二十六日原告の妻土屋芳江が被告の営業所を訪れ、伊鍋藤二に対し住宅用建物の売買の媒介を依頼していたところへ、伊藤彦三郎なるプローカーが来合わせ、本件不動産が売りに出ていることを告げたので、三名で揃つてその所有者である岩田彦一郎を訪れたところ、同人は他にも買受希望者があるから至急契約してもらいたいと申し出たため、原告の妻は大体買受を話を取り極め、正式に契約を締結する前に一応夫である原告に相談したいからといつて一旦辞去し、午後再び原告及び前記三名が相携えて岩田彦一郎の許に至り、原告と岩田彦一郎との間に原告主張の如き本件不動産についての売買契約が締結されたのである。そして原告は手附金として金十五万円を支払うことになつたのであるが、当時原告は金三万円の現金しか持合せがなく、且つ当日は土曜日で既に午後になつていたため残金十二万円は月曜日に銀行預金の払戻を受けて支払うこととして、翌々日二十八日にその通り支払がなされたのである。かような事情であつたので、伊鍋藤二は本件不動産に関する登記簿の記載等を調査して本件不動産についての権利関係が如何になつているかを予め調査する余裕は全くなかつたのであつて、岩田彦一郎の言動に信頼して本件不動産の所有権が支障なく同人から原告に移転されるものと判断する外なかつたのである。従つて伊鍋藤二がその当時本件不動産に原告主張の如き仮登記が経由されていて売主の義務の履行が不能に陥るかも知れない虞のあることを知りながら岩田彦一郎と共謀して原告に手附金の支払をさせたということは、全く無根の事実である。本件不動産につき原告の主張するような仮登記が経由されていたことが判明したのは、偶々事後に原告が登記簿を閲覧した結果に基くものであつて、伊鍋藤二は原告からの報告によりその事実を知つたので、直ちに岩田彦一郎に就いてこれを確かめるべく同人を尋ねたが不在のため会うことができないので、同人を紹介した伊藤彦三郎に問い合せたところ、右仮登記は、岩田彦一郎が仮登記権利者から金員を借り受けたについてその担保のために経由したものであつて、岩田彦一郎は原告から支払を受けるべき残代金をもつてその弁済をなし仮登記の抹消を受ける予定であるから、原告に対して所有権移転登記手続をするには何等憂慮すべき点はないとの回答に接したので、その旨原告に伝えたのである。ところが岩田彦一郎はそのまま行方を暗まし、結局原告主張の如く前記仮登記についての本登記がなされ且つ訴外松島四郎に対し本件不動産につき所有権移転登記が経由されるに至つたのである。叙上の通りであるから、原告が手附金として支払つた金十五万円相当の損害を蒙つたことが被告の原告に対する債務不履行に基因するものでもないことは疑の余地のないところである。仮に被告が原告に対し損害賠償の責任を負担しなければならないものとされるとしても、原告は売買契約の締結を急ぐの余り、岩田彦一郎が本件建物を支障なく処分し得るものと確信して本件不動産の権利関係につき自ら何等の調査をもなすことなく売買契約を締結し、且つその後上述の通り登記簿の閲覧により本件不動産について第三者名義の仮登記が経由されていて、原告に対する所有権移転登記が不可能となるかも知れない事情があつたことを発見しながら、仮処分の申請又は仮登記権利者に対する代位弁済その他の方法により自らの権利を保全する手段に出ることを怠つたため、その主張の如き損害を招来したものであつて、原告のかかる過失は被告の損害賠償責任及びその額を定めるにつき斟酌されるべきものである。」と述べた。〈立証省略〉

理由

被告が泉商事不動産部なる商号を用いて宅地建物取引業を営み、訴外伊鍋藤二をその事業に使用していたこと、昭和二十八年九月二十六日被告の媒介(実際その衡に当つたのは伊鍋藤二)により原告と訴外岩田彦一郎との間で原告主張の如き本件不動産の売買契約が締結されたこと、原告がその主張の如く二回に亘つて手附金十五万円を岩田彦一郎に支払つたこと、本件不動産の売買契約成立当時本件第一建物及び本件土地について訴外会津屋商事株式会社のために、本件第二建物について訴外権野正男のためにそれぞれ所有権移転請求権保全の仮登記が経由されていたこと及びその後右各仮登記権利者が本登記をなし、当該不動産につき訴外松島四郎に対し所有権移転登記を経由したことは当事者間に争いがない。

原告は、先ず第一次に、本件不動産売買の媒介に当り、伊鍋藤二は本件不動産について叙上の如き仮登記が経由されていて、そのため本件不動産につき岩田彦一郎から原告に所有権移転登記手続をなすことが不能となる虞のないでもなかつたことを知りながら岩田彦一郎と共謀の上に原告に対してその事実を祕して、原告をして前記売買契約を締結させ、手附金として合計金十五万円を支払わせ、よつて原告に対し右金額に相当する損害を蒙らせたものであるとして、伊鍋藤二の使用者である被告に対しその損害の賠償を請求するのであるが、本件に顕われた総ての証拠をもつてしても、原告の主張する如き伊鍋藤二の不法行為の存在したことは遂に認定することができないのである。従つて第一次請求原因による原告の請求は理由がないものといわなければならない。

そこで次に予備的請求原因に基く請求の当否について判断する。宅地建物取引業を営む被告の被用者であつた伊鍋藤二が昭和二十八年九月二十六日原告と岩田彦一郎との間の本件不動産売買について原告の依頼により媒介をしたことは、上述の通り当事者間に争いがないので、被告は依頼(委任)の本旨に従い善良な管理者の注意をもつて媒介に関する事務を処理すべき義務を負うものであり(民法第六百五十六条及び第六百四十四条参照)、又宅地建物取引業法(昭和二十七年法律第百七十六号)によると、宅地建物取引業者は、依頼者その他取引の関係者に対し、信義を旨とし、誠実にその業務を行わなければならず(第十三条)、その業務を関してなすべき宅地若しくは建物の登記若しくは引渡又は取引に係る対価の支払を不当に遅延する行為及びその業務に関して依頼者に対し重要な事項につき故意に事実を告げず又は不実のことを告げる行為をしてはならない(第十四条及び第十八条)ものとされている。

ところで証人土屋芳江及び伊鍋藤二の各証言並びに被告本人尋問の結果(但し後掲各措信しない部分を除く。)を総合するときは、伊鍋藤二の媒介により原告と岩田彦一郎との間に本件不動産についての売買契約が成立し、原告が岩田彦一郎に手附金十五万円を支払つた経緯は、左のとおりであることが認められる。原告はかねてその住宅を明け渡して他に転居しなければならないため、その移転先建物の売買について被告に媒介を依頼していた。偶々昭和二十八年九月二十六日、被告の営業所に出入する訴外伊藤彦三郎が、岩田彦一郎においてその所有する建物を売りに出しているとの話を伊鍋藤二にもたらした。伊鍋藤二は、その建物が原告の希望に叶うものと考え、直ちに原告に連絡して原告の妻土屋芳江、伊鍋藤二及び伊藤彦三郎の三名で岩田彦一郎を訪れた。岩田彦一郎が売り出していたのは、当時なお未完成の部分があつたが、同人及びその息子夫婦が別々に居住していた二棟の建物(本件第一及び第二建物)とその敷地(本件土地)とで、他にも買受希望者があり、金百三十万円で売りたいところであるが、金の必要に迫られているので直ぐに契約をしてくれるなら金百万円で売り渡すとの話であつた。原告の妻は、大体格好の物件であるが、建物は二棟までは必要でないといつたが、岩田彦一郎は建物二棟及びその敷地と一括してでなければ売れないとのことであり、伊鍋藤二においても、金百万円なら極めて格安で、原告が必要としない一棟の建物は他に売却の斡旋をしてあげるから是非話を極めるよう勧告した。原告の妻は夫である原告と相談の上で買い受けるかどうかを決定したいとして一旦帰宅して原告の意見を徴した結果売買契約を締結することに議がまとまつたので、原告を伴い前記三名の者が再び岩田彦一郎を訪れ、原告は岩田彦一郎との間において本件不動産を金百万円で売買し、原告より手附金十五万円を支払う旨の契約を締結した(右契約締結の事実に当事者間に争いがない。)が、当日は土曜日で右売買契約が成立したのは既に午後であつたので、原告は手持金三万円を取り敢えず手附金の内金として支払い、残金十二万円は月曜日(昭和二十九年九月二十八日)に銀行預金の払戻を受けて支払うこととしてその通り支払を了した(叙上金員支払の事実は当事者間に争いがない)。前述の売買契約の締結及び手附金の支払に際しては、原告は固より伊鍋藤二においても登記簿、権利証その他の資料に就いて売買不動産の権利関係がどうなつているかを全然調査することなく、岩田彦一郎から原告に対し本件不動産所有権の移転が支障なく行われ得るものと予期していた。前掲各証言及び本人尋問の結果中叙上認定の牴触する部分は措信し難く、他に右認定を動かすべき証拠はない。

以上認定のような事情の下において、伊鍋藤二が宅地建物取引業者である被告の事業を行うについて前述したような委任事務処理に関する義務の履行に懈怠があつたかどうかについて考えるに、前段の認定から知り得る通り、伊藤彦三郎から岩田彦一郎がその所有不動産を売りに出していることの連絡を受けた伊鍋藤二は、何等の調査を試みることもなく、卒然として原告に伊藤彦三郎からの話を紹介し、即日原告をして本件不動産について売買契約を締結させたのであるから、宅地建物取引業に従事する者として依頼者に対する義務の履行を怠つたものというべきである。成程原告において移転すべき住宅の買受を相当急いでいたことは事実であり、このため原告が急遽本件不動産について売買契約を締結したことも疑の余地のないところであるが、伊鍋藤二は伊藤彦三郎からの通報に接してこれを原告に伝える前に当該不動産について権利関係を調査する余裕が全くなかつたものとは到底認められず、前記売買契約成立当時既にその目的不動産に原告主張の如き所有権移転請求権保全の仮登記が経由されていたことは、当事者間に争いないところであるから、伊鍋藤二において調査を怠ることがなかつたならば、その事実を発見し得て原告主張の如き損害の発生を未然に防止し得たことは容易に推測し得られるのである。

被告は、伊鍋藤二が伊藤彦三郎から岩田彦一郎の所有建物が売りに出ている話を聞いた際には、原告の妻も同席していて、その場から直ちに売買の折衝が始まり、その日の中に原告と岩田彦一郎との間に本件不動産の売買契約が締結されたのであるから、伊鍋藤二において本件不動産について権利関係を調査する暇はなかつた旨抗争するのであるが、原告の妻が伊藤彦三郎から伊鍋藤二の許に上述のような建物の売り物があるとの話がもたらされた席に居合わせたものでないことは、前掲認定に徴して明らかであるから、被告の右主張は到底是認することができないのである。更に前掲証人土屋芳江の証言及び被告本人尋問の結果によると、本件第一及び第二建物は前記売買契約当時なお未完成の部分があつたところから、原告は勿論伊鍋藤二においても右建物が未登記の建物であると考えていたことが認められるが、さればといつて伊鍋藤二に前述の如き調査義務不履行の責を免れしめるものとは解せられない。蓋し不動産に関する権利関係の調査についての資料は独り登記簿のみに限られるものではなく、それ以外にも調査の方法が全くない訳ではなく、宅地建物取引業に従事する者としてはすべからく相当の方法によりこの点に関する調査の手段を尽すべきものであるからである。殊に原告と岩田彦一郎との間の売買契約の目的不動産は単に建物のみでなくその敷地である本件土地をも含んでいたのであるから、仮に伊鍋藤二が前記の如く建物が未登記であると考えたため建物登記簿を調査しなかつたことが一応やむを得ない事由に基くものであつたと解せられるとしても、同人としては当然本件土地の登記簿なり権利証なり等に就いてその権利関係を調査することに思致すべきであつて、かくすれば本件土地に当時第三者名義に所有権移転請求権保全のための仮登記が経由されていることをたやすく発見することができたはずであり、その場合には地上建物の権利関係についても当然疑念を抱き、更にその点に関して調査を進めるべきであることは、宅地建物取引業に従事する者として正に尽すべき義務に属するものというべきである。

叙上判示したところから考察するときは、伊鍋藤二は、宅地建物取引業を営む被告の被用者として原告と岩田彦一郎との間の本件不動産売買契約の媒介をなすに当り過失により、業務上当然尽くすべき義務の履行を怠り、これがため原告をして、右売買契約の締結にかかわらず本件不動産の所有権を取得することを得ず、原告が岩田彦一郎に手附金として支払つた金十五万円に相当する損害を蒙らせるに至つたものと解すべく、しからば伊鍋藤二の使用者たる被告は伊鍋藤二の過失により発生した右損害について自ら原告に対し賠償義務を負担すべきものである(原告が岩田彦一郎に対して手附金として支払つた金十五万円の返還を請求する途が残されていることは疑のないところであるが、たとえかかる請求をしても到底その実効を期し得ないことは、本件弁論の全趣旨に照らして明らかであるから、右の如き手段の存することは、被告に対する原告の損害賠償請求に何等の影響をも及ぼすものではない。)。

そこで最後に、前記損害の発生に関して原告にも過失があつたかどうかについて考える。

この点に関して被告の主張するところは、原告は本件不動産について売買契約の締結を急ぐの余り、本件不動産の権利関係に関し自ら何等の調査をもすることもなく、岩田彦一郎が本件不動産を原告に支障なく売り渡し得るものと軽信して売買契約を締結し、且つその後登記簿を閲覧して本件不動産について第三者名義に所有権移転請求権保全のための仮登記が経由されており、岩田彦一郎から原告に対する本件不動産についての所有権移転登記が不可能になるかも知れない虞があることを発見しながら、自らの権利を保全する適宜の措置を講じなかつた点において、本件損害の発生に原告の過失が競合したというにある。ところで民法第四百十八条が債務不履行による損害賠償の責任及びその金額を定めるについて債権者の過失をも斟酌すべきものと定めているのは、条理に照らし信義誠実の原則に鑑み、当該の場合における損害の公平な分担を期そうとする目的に出たものと解すべきであるから、この場合に問題にされるべき債権者の過失は、債務者にのみ損害賠償の義務を全面的に負担させることが正義公平に悖り社会通念に反するものと思料せしめる程度の法的評価を受けるものでなければならず、法規範の立場からする評価を離れて専ら法以外の規範の視野から考察して債権者に注意義務の懈怠があつたかどうかの見地から債権者の過失の有無を論ずることは許されないものというべきである。これを本件について按ずるに、先に認定した通り、被告の被用者として本件不動産売買の媒介の衝に当つた伊鍋藤二から、本件不動産が格好有利な買物であるとしてその買受方を勧告され、且つ買受建物のうち原告の必要としない一棟は後日被告において他に売却の媒介をするといわれた原告が、伊鍋藤二の叙上言辞に信頼して本件不動産の所有権を確実に取得し得るものと考えてそのまま岩田彦一郎と売買契約を締結し、同人に手附金十五万円を支払つたことは、宅地建物取引業者の媒介による不動産売買の依頼者として蓋しやむを得ないところというべきであつて、この点について上述した意義における債権者の過失を原告に対して云々する余地は全く存在し得ないのである。更に原告が事後登記簿の閲覧により、本件不動産に第三者名義の所有権移転請求権保全のための仮登記が経由されていたことを発見したにかかわらず、仮処分の申請その他被告の主張する如き権利保全の手段を講じなかつたことは、本件弁論の全趣旨に徴して明らかなところであるが、かかる事実を論拠にして直ちに原告に過失の責を帰せしめることもできないのである。殊に証人土屋芳江及び伊鍋藤二の各証言を総合すると、原告の妻土屋芳江は手附金十五万円の授受後本件不動産の登記簿を閲覧したところ上述のような仮登記が経由されていることを知り、驚いて直ちにその旨伊鍋藤二に通報し善後措置を要請したところ、伊鍋藤二は早速岩田彦一郎と交渉して善処するが、かような事例は稀有ではなく必配するには当らないから一切を任せて置いて欲してと答えた上岩田彦一郎に事情を訊したところ、同人において右仮登記は同人が仮登記権利者から金借したについてこれが担保のために経由したものであるから、原告から支払を受けるべき残代金をもつて右借受金を弁済し仮登記を抹消させる手筈を整えているから原告に対する所有権移転登記手続に支障を生ずる虞は絶対にないと言明したので、その旨原告に伝えた結果、原告としてもそのような運びになるものと期待して安心していたため特段の処置を講ずることはしなかつたことが認められ(この認定を動かす証拠はない。)ところからいつても、叙上の判断は一層確証されるのである。

さすれば被告は、原告の依頼に基く本件不動産売買の媒介に関する履行補助者たる伊鍋藤二の債務不履行により原告に対し金十五万円の損害を蒙らせたものとして、原告に対し右金額を損害する義務を負担すべきものであるから、原告の本訴請求は理由があるものというべく、よつてこれを認容すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を仮執行の宣言につき同法第百九十六条第一項を適用し主文の通り判決する。

(裁判官 桑原正憲)

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